いわみんTVマガジン11号(11/29) [三陸・宮古]
岩手県宮古市の有志によるUst配信(インターネットテレビ)、IWAMIN TVの機関紙
『いわみんTVマガジン』11号ができました。
大人の事情で、1ヶ月遅れです。
このときの放送で印象的だったのが、堤防の高さが決まったのに二人が全然うれしそうではなかったことです。(↓その放送の様子。堤防の話題は17分くらいから。)
私の感覚では、大物の建設基準が決まるということは、公共工事が進む第一歩だし、浸水エリアの今後を決めて行くスタートで、どういう形であれ決定があったこと自体は好ましいことだと思ったのですが。
実際、人間の力で完全に正しく決められるものではないですよね。
来年もいわみんTVマガジンをよろしくお願いします。
#iwaminTV Blog!! ~ 三陸・いわて宮古から【生放送!!】インターネットTV
『いわみんTVマガジン』11号ができました。
大人の事情で、1ヶ月遅れです。
このときの放送で印象的だったのが、堤防の高さが決まったのに二人が全然うれしそうではなかったことです。(↓その放送の様子。堤防の話題は17分くらいから。)
私の感覚では、大物の建設基準が決まるということは、公共工事が進む第一歩だし、浸水エリアの今後を決めて行くスタートで、どういう形であれ決定があったこと自体は好ましいことだと思ったのですが。
実際、人間の力で完全に正しく決められるものではないですよね。
来年もいわみんTVマガジンをよろしくお願いします。
#iwaminTV Blog!! ~ 三陸・いわて宮古から【生放送!!】インターネットTV
いわみんTVマガジン [三陸・宮古]
宮古災害復興支援活動チーム M.A.D [三陸・宮古]
突然ですが。
宮古災害復興支援チームM.A.Dと
月刊M.A.Dの紹介をします!!
表紙
テレビのニュースを見ていると、三陸の宮古市は人口の80%くらいが被災した漁師さんというイメージですけど、そうでない人もたくさん住んでいます。(あたりまえですが...)
そして、とても高齢化が進んでいるようなイメージですが......いや、実際高齢化は進んでいますが、まとまった人数の若者もいます。
M.A.D(マッド)は、わりとやんちゃなイメージの10~40代男女7人の復興支援グループです。
オリジナルのTシャツやパーカにはただ「F××K TSUNAMI」とだけ書いてあるだけで、
とても生まれ育った街が大変なことになってしまった人たちには見えないような感じです。
9月の秋祭りでは、全国から集まって来たボランティアの若者たちとの再会を喜んでいました。
その様子は、震災のつらさと出会いの喜びはプラマイゼロか、喜びが上回っているのではというくらいでした。
何でボランティアにも行かなかったこの私がこのローカルな活動を知っているのかというと.......twitterとfacebookとUstreamです。
だからどこまでこの感覚が正しいのかはよくわかりません。
報告書はこんな感じです。(許可をいただいて掲載しています。)
こんなにさわやかでいいのか?!という感じで。
中面
裏表紙
宮古災害復興支援チームM.A.Dと
月刊M.A.Dの紹介をします!!
表紙
テレビのニュースを見ていると、三陸の宮古市は人口の80%くらいが被災した漁師さんというイメージですけど、そうでない人もたくさん住んでいます。(あたりまえですが...)
そして、とても高齢化が進んでいるようなイメージですが......いや、実際高齢化は進んでいますが、まとまった人数の若者もいます。
M.A.D(マッド)は、わりとやんちゃなイメージの10~40代男女7人の復興支援グループです。
オリジナルのTシャツやパーカにはただ「F××K TSUNAMI」とだけ書いてあるだけで、
とても生まれ育った街が大変なことになってしまった人たちには見えないような感じです。
9月の秋祭りでは、全国から集まって来たボランティアの若者たちとの再会を喜んでいました。
その様子は、震災のつらさと出会いの喜びはプラマイゼロか、喜びが上回っているのではというくらいでした。
何でボランティアにも行かなかったこの私がこのローカルな活動を知っているのかというと.......twitterとfacebookとUstreamです。
だからどこまでこの感覚が正しいのかはよくわかりません。
報告書はこんな感じです。(許可をいただいて掲載しています。)
こんなにさわやかでいいのか?!という感じで。
中面
裏表紙
2011/10/30 宮古市まとめ [三陸・宮古]
かなり収拾がつかなくなってきた旅行記(?)でございます。
当日よりも日が経ってからの方が考えることが多く、毎日感想が変わっているような感じです。
あれから日々思うのは、東京生活者に求められている「直接被災していないからなるべく元の生活をして、経済を回す」という考え方も無理じゃないかということです。
その程度の経済の動きで何とかできるような被害と変化じゃなかったような気がします。
何かもっと発想の転換が必要なのかもしれないです。
とにかく、もう元には戻れないので、新しいことをしてみようという気持ちになりました。
勘違いしない程度にがんばります。
それはともかく。
前より活気があった宮古駅前。
(近隣のもっと被害のひどいエリアがから人口が流入しているそうです。また、鉄道の不通などによってバスの利用者がかなり増えたのかも。)
当日よりも日が経ってからの方が考えることが多く、毎日感想が変わっているような感じです。
あれから日々思うのは、東京生活者に求められている「直接被災していないからなるべく元の生活をして、経済を回す」という考え方も無理じゃないかということです。
その程度の経済の動きで何とかできるような被害と変化じゃなかったような気がします。
何かもっと発想の転換が必要なのかもしれないです。
とにかく、もう元には戻れないので、新しいことをしてみようという気持ちになりました。
勘違いしない程度にがんばります。
それはともかく。
前より活気があった宮古駅前。
(近隣のもっと被害のひどいエリアがから人口が流入しているそうです。また、鉄道の不通などによってバスの利用者がかなり増えたのかも。)
2011/10/30 宮古市鍬ケ崎→観光船 [三陸・宮古]
磯鶏から宮古駅まで歩いたのに続き、宮古駅から観光船乗り場まで歩いて行きました。
市役所から浄土が浜までの道は、とても被害の大きかったところです。
以前は、浄土が浜方面へはバス通りの一本道を歩くだけでしたから、勘に従ってにぎやかなところを行けば、それだけで道の駅(なあど)、魚市場を経て観光船乗り場に行けるような感じでした。
しかし、バス通りがあまりにもすっきりしてしまっていて、無意識に目印にしていたものが何もなく、この道でよかったのかとよろよろ歩いているうちに着いてしまったような感じでした。
のんびり歩いて徒歩約45分。
海も山も、遠くにいる人々も何もかもとてもよく見通せました。
そして、鍬ケ崎の街が、海から山へとゆるやかに傾斜した地形であることがよくわかりました。
基礎だけになった住宅の跡には、車やプレハブ、自販機などが置かれ、新築している家もありました。
人もけっこう活動していました。
それを見て........帰宅後、震災以来棚上げにしていた「自分の部屋の片付け」にようやく手を付けた次第です。
ある意味自分もどこかで、震災以来時が止まっていたかもしれないです。
市役所から浄土が浜までの道は、とても被害の大きかったところです。
以前は、浄土が浜方面へはバス通りの一本道を歩くだけでしたから、勘に従ってにぎやかなところを行けば、それだけで道の駅(なあど)、魚市場を経て観光船乗り場に行けるような感じでした。
しかし、バス通りがあまりにもすっきりしてしまっていて、無意識に目印にしていたものが何もなく、この道でよかったのかとよろよろ歩いているうちに着いてしまったような感じでした。
のんびり歩いて徒歩約45分。
海も山も、遠くにいる人々も何もかもとてもよく見通せました。
そして、鍬ケ崎の街が、海から山へとゆるやかに傾斜した地形であることがよくわかりました。
基礎だけになった住宅の跡には、車やプレハブ、自販機などが置かれ、新築している家もありました。
人もけっこう活動していました。
それを見て........帰宅後、震災以来棚上げにしていた「自分の部屋の片付け」にようやく手を付けた次第です。
ある意味自分もどこかで、震災以来時が止まっていたかもしれないです。