今週のお習字 20130813 [書道・工芸]
お手本デビュー?! [書道・工芸]
師範になったので、児童用のお手本を書く順番がまわってきます。
早速、まわってきてしまいました。
お題は
「とうげ」(小1向け)。
私は大人になってから習い始めたので(正確には小学校のときちょっと習ったけどすぐ脱走)、
ひらがなを書いたことがなく
早速、まわってきてしまいました。
お題は
「とうげ」(小1向け)。
私は大人になってから習い始めたので(正確には小学校のときちょっと習ったけどすぐ脱走)、
ひらがなを書いたことがなく
笠間焼(箱田焼)発祥の地 久野陶園(3) [書道・工芸]
笠間焼(箱田焼)発祥の地 久野陶園(2) [書道・工芸]
前回の記事から続きます。
久野陶園には、このような近代的な機械がいろいろありますが、それらはひとつのモーターで動くしくみになっています。
このモーターです。
モーター自体は二代目(だと思う)だそうで、近くには先代モーターも転がっていました。
ちなみに、あの「富岡製糸所」も、ひとつの蒸気機関で全部の機械が動くしくみで作られています。
久野陶園にも、それと同じような近代的合理精神を感じました。
久野陶園には、このような近代的な機械がいろいろありますが、それらはひとつのモーターで動くしくみになっています。
このモーターです。
モーター自体は二代目(だと思う)だそうで、近くには先代モーターも転がっていました。
ちなみに、あの「富岡製糸所」も、ひとつの蒸気機関で全部の機械が動くしくみで作られています。
久野陶園にも、それと同じような近代的合理精神を感じました。
笠間焼(箱田焼)発祥の地 久野陶園(1) [書道・工芸]
この夏たいへんお世話になった茨城県笠間市。
しばらく、「笠間焼」の記事を書きます。
こちらは笠間で一番古い窯元、笠間市箱田の久野陶園です。
笠間焼の始まりは、江戸時代の安永年間(1772-80頃)と言われています。
日本では田沼意次の政治から寛政の改革へと移行した頃、世界的には、イギリスの産業革命が始まった頃です。そしてアメリカが独立した頃でフランス革命のちょっと前。
信楽から来た人が焼き物の技術を、笠間市箱田の名主の家に伝え、窯が興りました(それが初代久野陶園)。
また、JRで笠間の隣駅となる宍戸にも、同時代に似た経緯で誕生した窯元がありました(宍戸窯)。
この地には他にも窯があった模様です。
それらに藩政改革を迫られていた水戸藩が目を付け、税収upのため保護したため、産業として成長しました。
明治になり、これらに目をつけた実業家がそれらの窯を統合して「笠間焼」と名付け、生活実用品のブランドイメージで全国的に売り出しました。
茶色いすり鉢や、茶色に黒の釉薬が垂れた漬け物の樽などがその代表的なイメージです。
そんな窯業の中心的存在としてがんばってきたのがここなのです。
しばらく、「笠間焼」の記事を書きます。
こちらは笠間で一番古い窯元、笠間市箱田の久野陶園です。
笠間焼の始まりは、江戸時代の安永年間(1772-80頃)と言われています。
日本では田沼意次の政治から寛政の改革へと移行した頃、世界的には、イギリスの産業革命が始まった頃です。そしてアメリカが独立した頃でフランス革命のちょっと前。
信楽から来た人が焼き物の技術を、笠間市箱田の名主の家に伝え、窯が興りました(それが初代久野陶園)。
また、JRで笠間の隣駅となる宍戸にも、同時代に似た経緯で誕生した窯元がありました(宍戸窯)。
この地には他にも窯があった模様です。
それらに藩政改革を迫られていた水戸藩が目を付け、税収upのため保護したため、産業として成長しました。
明治になり、これらに目をつけた実業家がそれらの窯を統合して「笠間焼」と名付け、生活実用品のブランドイメージで全国的に売り出しました。
茶色いすり鉢や、茶色に黒の釉薬が垂れた漬け物の樽などがその代表的なイメージです。
そんな窯業の中心的存在としてがんばってきたのがここなのです。