芦野公園201407 [絵画・イラストレーション]

b140728_1.jpg

7月の芦野公園の端っこは、モネの絵みたいです。
睡蓮はないけどw



写生大会の下見に行ってきました。

津軽鉄道車内でポスターを見た方から複数問い合わせがあったという「津軽鉄道と私の関わり」。
tsutetsu140809_140709s.jpg
※櫻庭先生はお仕事のご都合により不参加となりました。

そういえばどこにもちゃんとまとめていなかったので

↓興味のある方は、ちょっと長いですがどうぞ。





--------------
津軽鉄道との出会いは、2008年春。
東京に本社がある大手○○○○○系メディアの某シリーズ物の取材でした。
仕事そっちのけで(理由は後述)、

最初に描いたのが「津軽鉄道さくら弁当」の掛紙。
大手メディアの取材のときに、ちょうどさくら弁当のお料理の試作品が出来上がり、掛紙を描く人を探していたようだったので立候補。
その場で決定しました。

それがとても好評で、私の絵柄が五所川原ではかなり広く知られるようになりました。
その後、切符地紋手ぬぐいの掛紙、携帯ストラップ、絵はがきなど...津鉄さんと私のどちらからオファーしたかは定かではないです。普段の会話や酒の席等で、なんとなく決まりました。
すでに「さくら弁当の人」という親しみを持たれていたことが、大きかったです。
写生大会もそんな感じでした。

---------------
余談かつ長くなりますが、大手メディアの仕事で津軽鉄道に取材に行くまでの話。

小さい頃から身近な存在だった船、バス、電車等の乗り物が好きでしたが、知識は一般常識程度だと思っていました。
でも気がつけばけっこう鉄道マニアだったみたいでww

ある時期、鉄道博物館を盛り上げるための「メディア業界鉄道ブーム?!」の影響か、それなりに鉄道がわかっていて絵も描ける女の人ということで、鉄道の仕事が来るようになりました。
それはそれで楽しかったし、いい経験もでき、感謝しています。
でも、メディア側の要求と、実際の取材で見聞きし、感じたこととのギャップの大きさにだんだん苦しむようになりました。
まあ、そんなことはこの仕事をしていたら当たり前のことで、我慢の範疇だろうと言われてしまえばそれまでですが。
さくら弁当の頃に、キレちゃいました。

以降は、鉄道や観光、地域社会の現場に寄り添えるように方向転換しました。
あまりお金にはならなかったですが、いろいろな方から有形無形の助けをいただき、メディアの仕事でさせてもらった以上の貴重な経験ができました。
マスメディアのプロがそういう受注でいいのか?!と言われそうですけど、同じことをしていたら同じ未来しか期待できないので、価値観を改めてチャレンジしたいという気持ちです。
何よりも、期待されていることと感じていることのギャップが小さいので、気が楽になりました。

じゃ、何でそれが津軽鉄道だったのかというと......
(1)具体的に頼まれたから
(2)地元の方々も応援していたから
ですかね...。

なので津軽鉄道以外にも各地各分野で地域の仕事をしています。
でも他地域に「東京」を持ち込みたくないので、あまり公にしていません。
ご依頼があれば、お受けすることを前提にお見積もりしますのでご連絡下さい。
「何をどう頼んだらいいかわからない」という場合も、そういうお話から伺います。

結局自己PRで失礼しました(笑)。
ご質問はコメ欄またはメールで承ります。



共通テーマ:仕事

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。