浦上 一本足の鳥居 [長崎]
長崎市の東山手甲十三番館で行なわれている「東京人が歩いた長崎」は、明日11/7までとなりました。
初日を終えて帰る日の朝、浦上天主堂から一本足の鳥居まで歩いてみました。
その間約1キロ。
途中には多くの学生が原爆の犠牲となった長崎大学医学部がありました。
とはいえ、碑とこの鳥居以外は、全く普通の街でした。
ここで思ったこと。
このあたりの碑文などには、原爆なんて書いてありませんでした。
ちゃんと「原子爆弾」とフルネームです。
爆弾というあまり使わない言葉を、とても重く感じました。
原子力の使用以前に、そもそも爆弾が人殺し用になった地点でよくないわけで。
原子力発電のことも、原発と略しているけど、もしかしたら私たちが立ち返らなければならないのは「原」じゃなくて「発」の方かも。
略語で物事を考えるのはよくない、と思った長崎の朝でした。
絵の展示をしたことによって、観光用ではない会話をたくさんして、原子爆弾が長崎をどう変えたか、少し実感できるようになりました。
今なら、今回展示した絵と同じ場所で描いても、全く違う絵が描けると思います。