笠間焼(箱田焼)発祥の地 久野陶園(1) [書道・工芸]

この夏たいへんお世話になった茨城県笠間市。
しばらく、「笠間焼」の記事を書きます。

こちらは笠間で一番古い窯元、笠間市箱田の久野陶園です。
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笠間焼の始まりは、江戸時代の安永年間(1772-80頃)と言われています。
日本では田沼意次の政治から寛政の改革へと移行した頃、世界的には、イギリスの産業革命が始まった頃です。そしてアメリカが独立した頃でフランス革命のちょっと前。

信楽から来た人が焼き物の技術を、笠間市箱田の名主の家に伝え、窯が興りました(それが初代久野陶園)。
また、JRで笠間の隣駅となる宍戸にも、同時代に似た経緯で誕生した窯元がありました(宍戸窯)。
この地には他にも窯があった模様です。
それらに藩政改革を迫られていた水戸藩が目を付け、税収upのため保護したため、産業として成長しました。

明治になり、これらに目をつけた実業家がそれらの窯を統合して「笠間焼」と名付け、生活実用品のブランドイメージで全国的に売り出しました。
茶色いすり鉢や、茶色に黒の釉薬が垂れた漬け物の樽などがその代表的なイメージです。
そんな窯業の中心的存在としてがんばってきたのがここなのです。

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さて。
久野陶園が作って来た生活実用品は、現在他の素材(プラスチック類やペットボトル)に取って代わり、かつてのような大量生産はしていません。
オンデマンドの注文生産や、陶芸体験の教室をしています。

こちらは、江戸時代に作られ、生活実用品が大量生産されていた登窯です。
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最後にこの窯が炊かれたのは40年ほど前とのことです。
現在は、笠間市の文化財に指定されています。
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数年前に窯元の代替わりがあり、この登窯をまた使ってみようというプロジェクトが始まりました。
しかし3月の震災でこのような被害を受けてしまいました。
本来はこの上にレンガの屋根がついて、ドーム上になっています。

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火元に近い場所は、長年の蒸気になった釉薬が壁にこびりついて、てかてかしているのが見えます。

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火元から遠い場所では、壁はマットなままです。

こういうことでもなければ、登窯の構造を見られることはないので、これはこれで貴重な体験だと窯元、笠間焼関係者は興味深く見ているそうです。
(一般の方の見学も可能です。)
今はもう少し片付いているようで、修復を目指しています。

現在の久野陶園をかいつまんで自分流に翻訳してしまうと、「近代的工場の動態保存」。
レトロなマニュファクチュアが全部生きています。
こんなのとか。
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続く。
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